小林亮三(こばやしりょうぞう)ボーカル&ギター 1978年5月30日生・B型 cuneとして活動するまでは、「Ray」というビジュアル系バンドで活動していた。メンバーには中村泰造、元Waiveの杉本善徳、元Wyseの牧田拓磨らが名を連ねていた。 cune活動休止後、ソロ活動として、元Sound Scheduleの大石昌良らと共に「ボーカル会議」というライブイベントを主催している。 cuneの活動再開の意思がないことをブログで明言した。 生熊耕治(いくまこうじ)ギター&コーラス 1974年10月16日・A型 cune活動休止後、主にヒューマンロストらのサポートギタリストとして活動中。 中村泰造(なかむらたいぞう)ベース&コーラス 1978年6月21日・O型 cuneのプロデュースを担当していた佐久間正英は「日本で好きなベーシストの5本の指に入る」と、彼の実力を認めている。[1] cune活動休止後、杉本善徳らのサポートベーシストとして活動しながら、元Hysteric Blueのたくや達と共にバンド「CATAMARAN」を結成。精力的に活動中。 大北公登(おおきたきみと)ドラム&コーラス 1976年10月21日・O型 cune活動期はオフィシャルHPの製作を手がけていた。 青山テルマのシングル「何度も」のプロモーションで、バックバンドとして生熊・中村らと共にテレビ出演をしており、ドラマーとして活動していると思われるものの、活動内容は公表されていない。 大事件 1999年に結成。 同じKreisレーベルの別々の二つのバンド(亮三と泰造はRay、耕治と公登はIze)で活動していた4人が、小林亮三の呼びかけのもと、"胸キュン" な楽曲を世に問うべく集まり、バンド名をcune(キューン)と名付ける。 2001年5月、インディーズよりデビューシングルとなる『星をみてれば』を発売。 2002年、『星をみてれば』のc/w曲『SAMURAI DRIVE』がhitomiにカバーされ、知名度が上がった。(SAMURAI DRIVE参照) そして5月、ユニバーサルJよりメジャーデビューシングル『リフレイン』を発売。このシングルは中国台湾、中国香港、シンガポールで三カ国同時リリースされた。その後も9月には『イナズマ』、11月には新人バンドとしては異例のドラマタイアップ曲となった『クローバー』と2枚のシングル。そして12月にファーストアルバム『GREAT SPLASH』を発売。 2003年4月には初の全国7大都市ワンマンライブツアーを実施。そして、6月には『青空』、9月には『LION SEVENTEEN』、11月には『カノン』と3枚のシングルを発売。 デビューからこの時期まではメンバーのケガや病気が相次ぎ、思うように活動できない時期であった。大事な時期に精力的な活動が出来なかった為か、ヒット曲にはあまり恵まれていない。 2004年1月にはそれら3枚のシングルの表題曲を含むセカンド・アルバム『ナナイロスマイル』を発売。9月には自身初となるセルフプロデュース作品、ミニアルバム『明日の風』を発売。 2005年6月にはこれまでを振りかえる意味と、あらたな展開に向けての2004年までの活動の集大成としてベストアルバム『BEST 1999-2004』とクリップ集 DVD『CLIPS 1999-2004』を発売した。 2006年8月、ライブツアー後に活動休止することを発表。12月、ミニアルバム『EUPHORIA』、ライブアルバム『HORIZON』をレインボーエンタテインメントよりリリース。 その後、各メンバーそれぞれソロ活動を開始する。 2007年1月、ユニバーサルJより、シングルのC/W曲を集めたアルバム「B-side collection」をリリース。 2008年7月、小林が自身のブログでバンドの再開は無いと断言。事実上の解散状態であることを宣言する。 更多>>