本名 石原貴雅(いしはら たかまさ) 血液型 AB型
日本人の母と在日韓国人二世の父の間に西九条で生まれる。
雅-miyavi-(みやヴィ、9月14日 - )は、ミュージシャン。乙女座、AB型、兵庫県出身。
大事件
小学1年でサッカーを始め熱中しジュニアユースに所属、サッカー選手になることを夢見るも小学校5年生の時に足を負傷、それをきっかけにサッカーを断念。
中学3年のとき音楽に出会いギターを始め関西のV系バンドで活動。
その頃、ドクロ 髑髏(しゃれこうべ)ルイなどと名乗っていた。
17歳のとき恩人の先輩の死にショックを受けそのまま上京(PHS、財布、パイポ、だけをもっての上京だった)
上京後、ライブハウスで「Due'le quartz」のメンバーと出会い、そのまま一泊し、一晩で作曲を終えてたことがきっかけとなり加入することとなった。
1999年6月からDue'le quartzのギタリストとして活動。雅〜みやび〜と名乗り始める。
バンドの中で息子的存在でコンポーザーや裏ボイスという役割もしていた。
なおこの時代に龍馬の妻とその夫と愛人にSakitoとともにエキストラ出演している。
2002年9月Due'le quartzが解散、解散ライブの次の日にHPにてインディーズソロデビューが発表された。雅-miyavi-に改名する。
このときのHP内で、既に3曲がフル視聴でき、後に恒例となる錯覚(雅〜みやびうた〜歌以降無くなる)も存在するしっかりとしたHPだった。
2002年10月31日ファースト・アルバム『雅楽-gagaku-』より、ソロ活動を開始。
2003年4月25日、渋谷公会堂にてファーストソロライブを行う。ファンクラブ 「仔雅連合」が発足。(それまでは 拝啓「仔雅」)
2003年12月2日セカンド・アルバム「雅-galyuu-流」発売。
2004年2月〜、ファースト全国ツアー「東京脱走。」敢行。
2004年6月23日シングル『あしタ、元気ニなぁレ。』はオリコン・インディーズチャートで連続1位という記録を作る。
2004年7月10日、ツアー追加公演「日本脱走。」を韓国で行う。
2004年8月11日 ファンイベント「雅-miyavi-VS東京ドーム」戦 文字通り、東京ドームで無料のファンイベントを行う。
2004年8月31日にインディーズラストライブ「This is 王道」を日本武道館にて敢行。
2004年10月20日マキシ・シングル『ロックの逆襲スーパスターの条件/21世紀型行進曲』でユニバーサルミュージックよりメジャーデビュー。
自ら「歌って踊れるギタリスト」「歌って踊れるスーパースター」などと称し、聞くではなく見る音楽をアピールしていた。
2004年10月24日 都内にて、マル秘シークレットライヴ「黒服限定ギグ~仔雅の逆襲~」を行う。
2004年12月19日 BUZZ ROCK present's 2004 X'mas「みやヴィが街にやってくる!!」
2004年12月27・28日 FCイベント 仔雅連合主催 忘年会「雅-miyavi-博 in浜名湖」開催
2005年4月 「新曲公開リハーサル“ぷち”TOUR ~Re:ハーサル~」敢行。
2005年5月4日セカンド・シングル『Freedom Fighter-アイスクリーム持った裸足の女神と、機関銃持った裸の王様-』発売。
新曲発売イベント「仔雅的、自由への決起集会」が行われた、渋谷公会堂の入り口で雅がライブを行った。
2005年6月1日メジャーで初となる、フルアルバム『雅-miyavizm-主義』を発売した。
2005年7月 セカンド全国ツアー「俺様だぁれだ」~ライブハウスへ行こう~敢行。
2005年10月10月 新曲『結婚式の唄/Are you ready to ROCK?』発売記念イベント「身貴族*雅-miyavi-氏の花嫁探しの旅-2005- 前夜祭」が行われる。その後「身貴族*雅-miyavi-氏の花嫁探しの旅-2005-」は名古屋、大阪、福岡、仙台、札幌、と全国5都市を回った。
この際、初めて「独奏家」(スラップを中心とした独学の奏法と『Gigpig』という独自の楽器(ドラム、タンバリンなど様々な楽器が組み合わされている)を使った独奏)の雅のパフォーマンススタイルが披露された。
2005年12月 事実上雅主催の「PEACE&SMILE CARNIVAL TOUR2005」敢行。
2006年1月18日『セニョールセニョーラセニョリータ/Gigpigブギ』発売。
雅曰く、コスプレ三部作の一作目、雅-miyavizm-主義から続いたダンス作品が以降なくなっていく。
2006年3月〜4月「雅と行く音楽と名湯の旅『来年は長期休暇をいただきます』という訳で、ファンクラブで温泉旅行しちゃいます-2006-」開催、新潟、熊本、三重、香川、仙台、函館、石川 でツアーのようなFC旅行を行う。
2006年4月12日『Dear my friend/愛しい人』発売。
2006年7月5日 『君に願いを』発売 一万枚限定生産。
2006年8月2日 『MYV☆POPS』発売。
2006年9月13日 『雅-みやびうた-歌~独奏』発売。
2006年9月14日〜18日 「25周年記念公演 東京芸術劇場 5days ~独奏~」をおこなう。
またこのライブから様々なスタイルを取り入れるようになり、ラップ、タップだけでなく和太鼓やボディペイントなど様々なジャンルのパフォーマーと共演、音楽性をさらに広げていった。 このときに「ちょっくらアメリカ言ってくる」と単身ニューヨークに留学。ソロアーティストとしての腕を磨く約1年間の滞在期間を経て日本に帰国した。
2007年6月20日『咲き誇る華の様に/歌舞伎男子』で活動を再開。今までずっと掲げてきたNeo Visualismというテーマを全面に押し出した、現在の歌舞伎boizスタイルが出来上がった。
2007年7月〜8月 「【雅-miyavacation-休暇'07】The Beginning Of NEO VISUALIZM Tour 2007」敢行。
2007年11月14日 「素晴らしきかな、この世界 -WHAT A WONDERFUL WORLD-」発売。
結婚式の唄以来の新曲発売イベント「素晴らしき、即売会-2007」が東京、福岡、大阪、札幌、名古屋の5都市で開催された。
2007年12月25日「The Beginning Of NEO VISUALIZM Tour 2007 -下剋上-」を渋谷公会堂にて敢行。
2008年1月16日 「陽の光さえ届かないこの場所で」発売。
2008年3月19日 「雅-THIS IZ THE JAPANESE KABUKI ROCK-」発売。
2008年5月〜 「THIS IZ THE JAPANESE KABUKI ROCK TOUR 2008 」敢行。
アメリカ、チリ、ブラジル、ドイツ、オランダ、スペイン、イギリス スウェーデン、フィンランド、フランス 中国台湾、韓国、日本 中国をまわるワールドツアーとなった。
2008年6月27日 「AZN PRIDE-THIS IZ THE JAPANESE KABUKI ROCK-」発売。色違いの韓国版、中国台湾版にはDVDはついていない。
2007年にはYOSHIKIの新ユニットS.K.I.N.のギターとして加入、その縁からかシングル『陽の光さえ届かないこの場所で feat.SUGIZO』では同じメンバーのSUGIZOと共演している。