森友 嵐士(もりとも あらし、1965年10月30日 - )は、日本の男性ボーカリスト、音楽プロデューサー、ラジオパーソナリティ。
広島県府中市出身。東海大学理学部化学科卒業。血液型はAB型。
小简介
90年代に活躍したバンド「T-BOLAN」のボーカリストとしてデビューし、T-BOLANの殆どの楽曲の作詞・作曲を手掛けた。
広島県立府中高等学校卒。同校出身にテナーサックス奏者松本英彦やミス・ユニバース2004年日本代表の町本絵里がいる。
大黒摩季は自身のデビュー前から、T-BOLANの数多くの楽曲にコーラスとして参加しており、森友を“兄貴”と呼ぶ間柄である。ラジオ「森友嵐士のアラシを呼ぶぜ!」に直筆メッセージを寄せたことがある。
CHIROLYNとは森友が18歳か19歳頃から20年来の付き合いで、音楽仲間の中ではお互い一番古い。
ラジオ「森友嵐士のアラシを呼ぶぜ!」の番組ホームページ上のバナーで森友が抱いているのは“パセリ”と名付けた愛犬(ヨークシャー・テリア)である。
大学在学中に理科(化学)の教員免許を取得している。
卒業論文は「思春期前ラットにおける卵巣の形態と機能」。
右腕に北斗七星をかたちどる7つの黒子を持つ。
バイク好きで学生時代から乗り続け、大型二輪免許を取得している。
陶芸や書道をしている。
釣りをこよなく愛し地方にも釣りに出かける。釣った魚は自分でさばいて食べる。
2級船舶免許を取得している。
乗馬をしている。
サーフィンをしている。
現在、全国各地の音楽イベントに参加して、事前告知なしの小規模なソロライブを行っている。
高校の頃、学園祭や近所のお祭りでギター弾き語りで歌っていた。近所では弟の方が歌が上手いという評判だった。
大学のサークルでバンドを組んで演奏していた。
21歳の時、ライブハウスでアルバイトをしていたところ、ヴォーカリストを目指していた女友達に声をかけられ、青木和義と知り合う。森友は元々乗り気ではなかったのだが、青木に根気よく声をかけ続けられ、一度事務所に顔を出すことにした。その事務所所属のバンドと音あわせをしたところ気に入られ、加入を要請されるが、デビューを控え既にスケジュールがびっしり組まれていたバンドだったこともあり、学業を優先するため辞退する。
桑田佳祐の父がやっていた店でアルバイトをしていたことから、桑田佳祐の子供のベビーシッターのアルバイトをすることになり、桑田の自宅に出入りしていたことがある。また、サザンオールスターズのコンサート前のリハーサルを見せてもらったりもしていた。
大学3年生の終わりに、青木和義からバンドの誘いの電話があったことをきっかけに“プリズナー”を結成しプロを目指して活動を始める。このバンドでビーイング主催の「第2回BADオーディション」を受けグランプリを受賞。“BOLAN”としてインディーズデビューし、年間100本以上のライブ活動を行う。しかし、バンドの方向性に疑問を感じて脱退、他のバンドを結成し活動を続けた。この間に五味孝氏と上野博文に出会う。その後、自らのバンドには青木が必要であると感じ、青木に再びバンド結成を持ちかけ、五味・上野を迎え入れ“BOLAN”を再結成、後に“T-BOLAN”としてメジャーデビューを果たす。
森友が作詞を始めるきっかけになったのは、メンバーだった青木和義が「作詞はバンドのボーカルがするものだ」と勧めたのがきっかけである。後に、森友は数多くの名曲を生み出すことになる。
BADオーディションを受ける以前に、ライブで対バンを観に来た音楽関係者から思いがけずスカウトされたことがある。しかし、結成してまだ間がなかった為、まだそんな段階ではないと辞退する。
森友のインディーズ時代のライブには、B'zとしてデビューが決まっていた稲葉浩志がライブ経験を積むためにゲストで20本以上参加し、主に洋楽のカバーセッションをしていた。また、お互い教員免許を持っていた森友と稲葉(専攻は森友が理科(化学)、稲葉は数学)は、「売れなかったら一緒に塾でもやろう」と話していた。稲葉はB'zファンクラブ会報Vol.70でこの時のことを回想している。
T-BOLANはBOØWYと似ていると指摘されることがあるが、T-BOLANデビュー前に早尻翔介名義で、安宅美春(後のKIX-Sのギタリスト)のギターインストアルバム「孤独のRUNAWAY」収録曲の「IMAGE DOWN」(BOØWYのカバー曲)にゲストボーカルで参加している。
T-BOLANデビュー前、ビーイング所属のミュージシャンによる洋楽カバーアルバム「Royal Straight Soul」に本名の田辺裕之名義で参加した。なお、「Royal Straight Soul」シリーズはIIIまであり、森友は全てに参加している。
森友が書いた「じれったい愛」に出てくる「うざったい」というのは、元々は多摩地域で「不快」の意味で使われていた方言だが、この楽曲がヒットすることによって全国に広められた。ただ、森友自身は「別にさ、広島ではみんな使っているよ」「まあ、歌詞にしたのは初めてかもしれない」と話している[1]。
レコーディングで行き詰まると、スタジオを飛び出してバイクで海まで走り、なかなか戻らずメンバーが途方に暮れることがしばしばあった。
T-BOLANの曲である「いじけた視線を君に語るより 光をみたい」は、森友の部屋で音楽仲間と朝まで飲み明かし、窓から見える朝日を見ながら福井祥史と交わした会話がきっかけで生まれた曲である。
2004年7月、上杉昇のライブにふらっと立ち寄る。上杉と懐かしい話(ビーイング時代のことと思われる)をした後、そのままライブにも観客として参加。
2006年8月27日、B'z LIVE-GYM 2006 "MONSTER'S GARAGE"大阪ドーム公演を観にいく。アンコールが終わりステージ裏に降りてきた松本・稲葉と再会し、二人と懐かしい話(ビーイング時代や国歌独唱のこと等)をする。
2006年11月18日、大黒摩季Live Bomb!! Lev“V” ~デビュー15周年記念前倒し企画・わりと津々浦々お客様大感謝TOUR “ダイブ見せますMaki Best”+~山梨県民文化ホール公演のアンコールに「ら・ら・ら」のコーラスで飛び入りゲスト参加。ステージ最後のメンバー挨拶にも加わった。
亀田家が森友の41歳の誕生日パーティーを催す。大型ケーキが用意され、興毅から大きな花束が贈られたり、大毅がピアノ弾き語りで歌ったり、亀田ファミリーの手形入りサイン色紙をプレゼントされる。
2007年1月2日に放送された「恋するハニカミ!」で亀田大毅が披露したオリジナル曲は森友が提供したものである。
2007年6月9日、「森友嵐士のアラシを呼ぶぜ!」にて、同年5月に急逝したZARDの坂井泉水を悼んでZARDの代表作『負けないで』をオンエアした。同じく26日には関係者会葬にも参列してマスコミからの取材も受けた。その際、2004年のZARDの武道館ライブでは坂井の楽屋に訪れて話をしたことなど、坂井とのエピソードに触れた。また坂井はT-BOLANのライブを見に行ったこともあった。
T-BOLAN解散以降、音楽活動は休止状態で、音源のリリースは無いが、2005年に「One Room」という新曲をレコーディングしている。今のところリリースの予定はないようだが、森友がパーソナリティーを務めるラジオ日本の番組「森友嵐士のアラシを呼ぶぜ!」本放送やネット限定スペシャルバージョンで聴くことができる。「One Room」(作詞・作曲:森友嵐士)は、五味孝氏(ex.T-BOLAN)、CHIROLYN(ex.hide with Spread Beaver)、小島良喜(ex.KUWATA BAND)らとともにレコーディングされた。
プロボクサー亀田大毅が、2006年6月5日後楽園ホールでのプロ4戦目(53キロ級ノンタイトル8回戦)でTKO勝利後、リング上でT-BOLANの「Heart of Gold」を熱唱した。 このとき亀田三兄弟の父・亀田史郎の招待で森友はリングサイドで試合を観戦しており、大毅の歌を褒めるとともに「Heart of Gold」について“自分にとっても特別な思い入れのある歌”というコメントを残している。森友が亀田家の面々と顔を会わせたのはこの日が初めてだったが、以後交流を深めていく。大毅は次の試合でKO勝ちした時もT-BOLANの曲を歌うことを明言していた通り、2006年8月20日スーパーフライ級8回戦で1R1分45秒でKO勝ちしリング上で「Dear」を熱唱した。カラオケの時に使用されている金のマイクは明石家さんまから、金のマイクスタンドは木村拓哉から贈られたものである。
亀田史郎はT-BOLANの曲調はもちろん「夢」と「希望」が詰まったT-BOLANの歌詞に特に魅かれ何度も励まされてきた、という。三兄弟もそんな父の背中を見て育ったため、亀田ファミリー全員が森友のファンとなり、ファミリーにとってはカリスマ的存在、となった。(出典:デイリースポーツ、10月4日)6月中旬に、亀田史郎の招待で森友は静岡・下田合宿を訪れ激励した。ファミリーと意気投合し、その日の会食の席で亀田興毅からWBA世界ライトフライ級王座決定戦での国歌独唱を依頼され快諾した。
上記の縁で、2006年8月2日横浜アリーナ(観衆1万5000人)で行われた、プロボクサー亀田興毅のWBA世界ライトフライ級王座決定戦の前にリング上で国歌独唱をした。森友が公の場で歌声を披露するのは1995年3月26日に行われたT-BOLANの大阪厚生年金会館でのライブ以来11年4ヶ月振りであった。歌い方が独特であった為、ネット上の一部で話題になった。また、和田アキ子が森友の歌い方について、アッコにおまかせ内で指摘した。
森友の国歌独唱をきっかけとして、2006年8月3日放送の「ナインティナインのオールナイトニッポン」内で急遽「ボラン」というコーナーが企画され、短期コーナーという位置づけで8月11日放送から行われた。内容は「T-BOLANに巻き舌で歌ってもらいたい歌のフレーズ(歌詞)」を募集し岡村隆史が巻き舌で歌うというもの。コーナー始めに毎回「じれったい愛」が流れた。2006年9月28日放送からコーナー名が「ボロン」に変更され、2006年10月5日放送分にてこのコーナーは終了した。
2007年2月23日、亀田大毅プロボクシングノンタイトル10回戦(札幌市北海道立体育センター)で3回1分18秒KO勝ちし、大毅がリング上で披露したオリジナルソング「Love Song」は、森友が大毅のために書き下ろしたものである。(「恋するハニカミ!」で大毅が歌った曲と同じ曲)
ラジオ日本「森友嵐士のアラシを呼ぶぜ!」が、福井放送でも2008年4月6日から放送開始されている。放送日時は毎週土曜日22:00~22:30。